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涙で気づいた、あの日。全身全霊で娘にぶつかった、たった一度の「激しい叱責」

子育て

導入:子育ての「タブー」と、胸に秘めた過去

子育てにおいて、「体罰」はいかなる理由があっても許されない行為です。2020年からは法律でも禁止され、「しつけ」と称して子どもをたたくことは、虐待にあたると広く認識されています。

私も一人の親として、その考えを深く理解しています。

しかし、私の胸には、大人になった娘と二人きりになると、時に笑い話になる、たった一度の「タブー」に近い経験があります。それは、娘の人生の転機となるかもしれない、高校時代の試合中、私が全身全霊、感情のすべてをぶつけて娘を激しく叱りつけたあの日です。

今回は、決して推奨されることのない、母親の深い後悔と、切羽詰まった愛情から生まれた、あの日の出来事を綴ります。そして、それがなぜ、今、娘から「ありがとう」という言葉に変わっているのか、その理由を正直にお話ししたいと思います。


第1章:試合に出られない苦悩と、やっと掴んだ居場所

娘は、小学校からずっとバスケットボールに打ち込んできました。

球技が得意でない娘は、中学時代は、実力のある選手に置いて行かれ、レギュラーの座は遠く、ベンチで過ごすことが多かったのです。試合に出られない日々に、娘は何度も涙を流し、「もう辞めたい」と私に訴えたことも一度や二度ではありません。しかし、それでも彼女はボールを追い続けることを選びました。

試合に出られない、出してもらえないという事は、スポーツでは何よりつらいことであることは、私もよく理解していましたので、自分のことのように悩み苦しんだ時もありました。

「次こそは」という思いを胸に努力を続け、高校に進学。環境が変わり、強豪校ではない学校でしたので、少しずつ努力が実を結び始めます。コーチの指導のもと、チームの中で自分の役割を見つけ、懸命に練習に励みました。

そして、ついにその日が来ました。高校に入って初めて、まとまった時間、試合のコートに立つことができたのです。母親として、これほど胸が熱くなる瞬間はありませんでした。中学時代の苦しさを知っているからこそ、「頑張ったね」「諦めなくてよかったね」と心の中で何度も祝福しました。

娘は、まさに念願の居場所を手に入れたのです。

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第2章:裏切られた期待と、母親の危機感

しかし、その試合で、私は目を疑う光景を見ることになります。

コートに立った娘のプレーは、どこか適当でした。ボールが来れば最低限の動きはするものの、自ら積極的に動こうとしない。パスの精度は低く、ディフェンスでは足を止め、仲間のフォローにも入らない。

それは、中学時代、コートの外から**「出たかった」「役に立ちたかった」**と泣いていた、あの娘の姿からは想像もできない、無責任なプレーでした。

その原因が、試合中、コーチから娘に対しての厳しい言葉、人によっては**「暴言」**と受け取られかねない強い叱責によるものであることがわかりました。娘はすぐにシュンと落ち込み、そこからさらにプレーへの集中力を欠いてしまいました。完全に試合から心が離れてしまったのが、見ていて明らかでした。

その時、私の胸に湧き上がったのは、コーチの「暴言」への怒りよりも、むしろ**言い知れぬ「恐怖」**でした。

「せっかく出られた試合で、なぜ」 「あんなに、試合に出られない仲間のために、自分は頑張ると誓ったのに」 「努力してやっと掴んだチャンスを、こんな態度で台無しにするのか」

コートの外には、出たくても出られない仲間がいる。ベンチには、必死で声を枯らして応援している仲間がいる。彼女が今しているのは、単に「プレーが下手なこと」ではなく、**「周囲の人間への敬意を失う」**ということでした。

ここで、この娘の甘え無責任さを正さなければ、彼女はきっと、スポーツの世界だけでなく、**社会に出ても、周囲の気持ちを考えられない、自分本位な人間になってしまう。**この一瞬を逃したら、もう手遅れになる――。

私の心は、切羽詰まった危機感でいっぱいになりました。


第3章:コートサイドでの「爆発」

試合はそのまま進み、仲間のおかげで勝つことが出来ましたが、娘は精彩を欠いたまま、交代でベンチに戻りました。

試合終了のブザーが鳴った瞬間、私は我慢できませんでした。コートサイドの人目につかない場所へ娘を呼び出しました。私の顔は、きっと怒りでゆがんでいたでしょう。

娘は、私がここまで感情的になるのを見たことがなかったからか、ただぽかんと立ち尽くしていました。

私は、周りの目も、声も、もうどうでもよかった。理性ではなく、本能で娘にぶつかっていきました。

「どういうつもりだ!」 「せっかく出してもらえた試合だよ! 出たくても出られない仲間がベンチにいるんのをわかっているのか!」 「中学の時、試合に出られなくて泣いた日々をもう忘れたのか!?」

私は声を荒げ、全身の力を込めて、娘に訴えかけました。彼女の目を見据え、伝えたい言葉のすべてを、魂を込めて浴びせかけました。その激しい口調は、周りの選手や保護者にも聞こえていたかもしれません。しかし、当時の私には、娘にこの真剣な想いを、痛みを伴ってでも伝えなければならない、という強烈な使命感しかありませんでした。

そして、私は、娘の頬を両手で挟むようにして、強い調子で言いました。

「ここで、自分の気持ちを変えていかなかったら、周りの人の気持ちなんて一生考えられない人間になるぞ。それは、ダメだ

それだけを言って、私は娘からたった一歩後ろに下がりました。体中の力が抜け、喉は張り裂けそうで、心臓は激しく波打っていました。これほど感情を爆発させたのは、人生で初めてでした。


第4章:後悔と、離れた場所からの祈り

その場に呆然と立ち尽くす娘を後に、私は夫と、信頼できる保護者仲間に後を託し、そのまま会場を離れました。激しく叱責した後、**体が震え、胸が締め付けられるように痛くて、**これ以上、娘の顔を見ていることができませんでした。

「私は、今、なんてことをしてしまったんだろう」

激しい叱責は、一歩間違えれば暴力的な行為であり、感情の暴発です。娘を傷つけ、親子関係を壊してしまうかもしれない。後悔の念が、津波のように押し寄せてきました。

私は会場の外、小さな窓からコートが見える、誰にも気づかれない場所に身を潜めました。ただ、娘の様子を、試合が終わるまで、遠くから見つめ続けることしかできませんでした。

「どうか、私のこの激しい行動が、間違っていませんように」 「どうか、私の気持ちが、伝わっていますように」

それは、母親としての、後悔と祈りの時間でした。

しばらくして、保護者仲間から私宛にLINEが届きました。

「もう、大丈夫だよ。次の試合、別人みたいに頑張ってる。目つきが全然違う。最後までコートを走り回ってるよ」

そのメッセージを見た瞬間、窓の向こうで奮闘する娘の姿を見て、私は涙をこらえることができませんでした。


第5章:感謝の言葉と、笑い話になった今

大会がすべて終わり、私が車で待っていると、娘は更衣室から走り出てきました。私はどんな顔をしたらいいのか分からず、ただ娘を待っていました。

娘は車に乗り込むと、満面の笑顔で言いました。

「お母さん、ありがとう。私、大切なことを忘れてたよ」

私は、言葉が出ませんでした。ただ、娘の頭を優しく撫でることしかできませんでした。

あの時の激しい叱責は、娘にとって、コーチからの「暴言」で心が折れることよりも、「本当に大切にすべきこと」に気づかせてくれる強烈なショック療法になったのかもしれません。彼女は、**「出られない仲間への申し訳なさ」と、「やっと掴んだチャンスへの感謝」**という、人間として最も大切な気持ちを、あの時、心で思い出したのです。

あれから十数年が経ち、娘は、仲間や後輩を思いやることのできる、強くて、何事からも逃げない大人になりました。

今でも、あの日のことを「お母さん、あの時ばかりは本当に鬼の形相だったよね」と、笑いながら話してくれます。そして、「あの時、お母さんが怒鳴ってくれなかったら、きっとそのまま流されて、後悔していたと思う」と、逆に感謝の言葉を口にしてくれます。


結論:あの行為は「愛」だったのか

私は、激しく感情をぶつけることは、決して正しいしつけの方法ではないと、今でも心から思っています。あの時、私には他にも、娘と二人きりで冷静に話し合う機会を作るなど、言葉で伝えるための代替手段があったはずです。

しかし、当時の私にとって、あの切羽詰まった瞬間に、親の全身全霊の想いを伝えるには、ああするしかなかった。あれは、**「しつけ」でも「指導」でもなく、「この子の人間性だけは守りたい」**という、母親の原始的な愛と、極度の危機感から生まれた、一回限りの行動でした。

たたく行為、そして激しい叱責は、正当化されるべきではありません。

ただ、私たちの親子にとって、あの**「感情の衝突」が、お互いの魂をぶつけ合った結果、特別な信頼関係を生み、娘に「大切なこと」**を思い出すきっかけを与えてくれたのも、また事実です。

子育ては、誰もが正解を知らない、難しい道のりです。

もし、今、子どもの態度に心を痛め、どうしていいか分からず葛藤している親御さんがいるなら、伝えたいのは、**「どうか、感情的な手段ではなく、言葉を、気持ちを尽くしてほしい」**ということ。

そして、**「親が本気で、全身でぶつかった想いは、必ず子どもの心に届く」**ということです。この記事を書きながら、今だに涙があふれてきます。それほどの出来事でした。

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