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中学3年生の冬。年が明け、受験本番まであとわずか2ヶ月という時期は、親にとっても子にとっても、一年で最も張り詰める季節かもしれません。
わが家には、娘と息子がいます。お互い、勉強はできる方ではありませんでしたが、二人ともそれぞれ大きな壁に立ち向かい、自ら選んだ進路に向かって必死に勉強していました。そんな緊迫した時期に、突然、娘と息子の担任の先生から、親である私あてに電話がかかってきたのです。
娘と息子は6歳差ですので、同じような時期に、同じ内容で担任から電話がきたため、今でも忘れることが出来ない記憶です。
その内容は、受験を目前にした子どもたちの「課外活動」について、全く真逆の意見を伝えるものでした。
この記事では、この「真逆の電話」から学んだ、親として子どもにどう関わるべきか、特に**「子どもの自己決定」**を尊重することの重要性について、当時の状況を振り返りながらお話ししたいと思います。
娘と息子、それぞれの「崖っぷちの決断」
まず、当時の二人の受験状況をご説明させてください。二人とも、親の意見ではなく、自分の意思で厳しい道を選んでいました。
娘の挑戦:中学校では受験データのない、県内屈指の人気校
娘が志望したのは、自宅から離れた、県内でも人気の実業高校でした。
- 成績状況: 合格ラインはギリギリ。決して余裕があるわけではありません。
- 担任からのアドバイス: 地域から遠いため、過去の受験データが少なく、担任の先生からは「もう少し検討した方が良い」と、慎重な意見をもらっていました。
- 娘の決断: 悩みに悩みましたが、最終的には「どうしてもこの学校に行きたい」と、自ら受験することを決意しました。
娘は、確固たるデータがない中で、自分の可能性を信じて高い壁に挑もうとしていました。親としては、心配が尽きませんでしたが、その意思を尊重しました。
息子の挑戦:伸び悩む中での地元進学校
息子が志望したのは、地元の進学校でした。
- 成績状況: 志望校レベルには何とか到達していましたが、伸び悩んでいました。
- 息子の葛藤: 周囲の期待と、思うようにいかない現状のギャップに苦しんでいる様子でした。
- 息子の決断: 辛い時期を乗り越え、「やっぱりこの学校で頑張りたい」と、こちらも自力で受験を決意しました。
二人とも、誰かの勧めや安心できる選択肢ではなく、**「自分が本当に挑戦したい場所」**を選び取っていたのです。
受験直前に持ち上がった「卒業合唱の指揮者」問題
受験勉強が佳境に入る冬、卒業式で披露される卒業合唱の指揮者選出の話が持ち上がりました。
指揮者は、その年の秋に行われた文化祭の合唱コンクールで、指揮者賞を収めた生徒が務めるのが慣例となっていました。
そして、娘も息子も、卒業式の指揮者に選ばれたのです。
選ばれた直後は、二人とも大喜びでした。中学生活の集大成となる、クラスや学年をまとめる大役です。しかし、喜びもつかの間、現実的な問題が立ちはだかりました。
「受験勉強の時間を削って、指揮の練習ができるのか?」
受験は目の前です。特に二人とも成績に余裕があるわけではありません。この時期に練習時間を確保し、精神的な負担を増やすことは、受験結果に直結しかねないリスクでした。
親としてどうすべきか、夫婦で話し合っている矢先に、担任の先生方から電話がかかってきたのです。
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【真逆の指導】担任からの電話が突きつけた「教育観の違い」
同じ学校、同じ学年、同じ受験生、同じ「指揮者」という立場で、ほぼ同時期にかかってきた電話。しかし、その内容は驚くほど真逆でした。
📞 娘の担任の意見:「受験を優先し、諦めてください」
娘の担任の先生からは、まず娘の頑張りをねぎらった上で、厳しい現実を突きつけられました。
「娘さんは、遠方校をギリギリのラインで目指しています。今、少しでも油断をしたり、勉強以外のことに時間を使うのは非常にリスキーです。受験が大切ですから、今回は指揮者は諦めた方がいいでしょう。」
受験合格という結果を最優先に考え、データのない挑戦を選んだ娘に対する現実的かつ、リスク回避を促す指導でした。
📞息子の担任の意見:「君しかできない。受けてほしい」
一方、息子が通うクラスの担任の先生からは、全く違うメッセージが伝えられました。
「息子さんの受験が大事なのはもちろん承知しています。しかし、今回の指揮は、彼以外にはできません。大変なのは分かっていますが、ぜひ受けてほしい。」
息子は成績が伸び悩んでいましたが、先生は彼の**「能力」と「存在価値」を認め、「君にしかできない」と自己肯定感**を揺さぶる言葉で、大役に挑むよう促したのです。
親の私が一貫して伝えた**「後悔させない」**という覚悟
二人の先生からの真逆の電話。親として、受験という現実の厳しさを取るか、子どもたちの「やりたい」という気持ちを尊重するか、究極の選択を迫られました。
しかし、私の答えは、娘の担任にも、息子の担任にも、そして何より子どもたち自身に対しても、一貫していました。
「本人次第です。本人がやると決めたのなら、受験があろうとも、親として、受験も指揮者も、全力で応援します。」
そして、私の心の中には確固たる理由がありました。
受験の結果は、もちろん人生を左右する大きな出来事です。しかし、もし**「受験だから」という親や先生の意見で指揮者を辞退し、中学生活最後の卒業合唱を他の子が指揮するのを見たら、わが子は一生涯、後悔する**だろうと感じたのです。
後悔とは、選択しなかったことに生まれる感情です。
受験に失敗したとしても、「あの時、指揮者を頑張ったからだ」とは思わないでしょう。むしろ、「あの時、精一杯やりきったからこそ、受験も頑張れた」と、努力を肯定する経験になるかもしれません。
私は先生方に、こうもお伝えしました。
「本人が決めたことに従います。親の私が、受験を理由に、念願の指揮者という選択を奪うことはしません。」
【最高の結末】挑戦と成功が教えてくれたこと
結果として、娘も息子も、指揮者の大役と受験勉強を見事に両立させました。
二人は、限られた時間を最大限に有効活用することを覚え、練習のない時間は集中して勉強に打ち込みました。そして、指揮者としてクラスを引っ張る経験が、逆に精神的な充実感と自信につながったのかもしれません。
卒業式では、二人とも晴れやかな顔で壇上に立ち、中学生活の集大成として全校生徒の前で指揮を執る姿を見ることができました。この時点では、受験の合否はわかっていませんでしたが、娘も息子も、本当に晴れやかな表情でした。
そして、翌日の合格発表。娘も息子も、希望校に合格することができました。
あの時、親や先生の意見で「諦めなさい」と口出ししていたら、この最高の経験は絶対に得られませんでした。
親として学んだ「子どもの自己決定」の重要性
この出来事を通じて、私は親としての子育ての軸を確固たるものにすることができました。
担任の先生方の指導観の違い
同じ立場の子どもに対し、一方の先生は**「現実的・結果重視」で、もう一方の先生は「経験・自己肯定感重視」**という、全く異なる視点で指導されていました。どちらの先生も子どもを思ってのことですが、親がどちらの意見に偏りすぎてもいけないと痛感しました。
親がすべきこと:「意思決定の代行」ではなく「意思決定の応援」
子どもにとって何が最善かを知っているのは、親ではなく、その子自身です。
親の役割は、**「人生の選択肢の多さ」を教え、「決断に必要な情報」を提供し、「本人が決めた道を無条件で応援する」こと。そして、「万が一失敗しても大丈夫なように、最後に受け止める場所を用意しておく」**ことだと感じました。
「受験だから」「親が決めたから」と口出しするのではなく、**「自分で決めた」**という経験こそが、子どもが社会で生きていく上で最も大切な自己肯定感と責任感を育む土台になるのです。
【高校生になっても】続く、自己決定を促す親の関わり方
中学受験の指揮者問題で確立した「自己決定を促す親の関わり方」の軸は、高校生になってからの進路選択や部活動、さらには将来の夢にもつながっていきました。
高校生になると、進路の選択はさらに複雑になります。大学受験や将来の職業、留学など、親の意見や世間の常識を押し付けがちな場面が増えます。
しかし、私は中学時代と同じく、高校生になった娘と息子の選択に対しても、**「自分で考え、自分で決める」**という姿勢を貫きました。
- どの大学のどの学部を選ぶのか?
- 部活と勉強をどう両立するのか?
- 文系か理系か?
これらの選択にも、親は口出しせず、ただ情報提供とサポートに徹しました。
高校生での具体的な進路決定における、わが家の「口出ししすぎない」関わり方については、こちらの記事で詳しくお話ししています。もしよろしければ、続けてご覧ください。


