目次
こんにちは!ワーママの「かぜあお」です。
皆さん、ふと子育てを振り返って「これでいいのかな」と不安になることはありませんか?
私たちは仕事と家庭の両立に追われ、「正解」がわからないまま日々を走り抜けています。
先日、そんな私の心に、暖かく、そして深く響く出来事がありました。現在、社会人になった娘から送られてきたインスタグラムの投稿画面のスクリーンショットと、それに添えられたメッセージです。
娘が送ってくれたのは、**「育ちがいい子の共通点」**というリストでした。そして、その画像に添えられたメッセージこそ、私にとって忘れられないものでした。
「こんな私でもこの内容が当然と思える人間になれたのは、お母さんのおかげです」
親として、これ以上の褒め言葉があるでしょうか。胸が熱くなると同時に、正直、ある種の「戸惑い」を感じたんです。
親の「当たり前」は、世間の「当たり前」ではなかった
娘が送ってくれたリストは、訪問先でのマナーに関するものが主でした。具体的なリストを見ていただければ、皆さんも同じように感じるかもしれません。
娘が送ってくれた「一生モノの財産」リスト
「育ちがいい子の共通点」(※娘から共有されたSNSのリストより引用)
- 玄関では必ず「靴を揃える」
- よその家には「靴下」で上がる
- 勝手に「他の部屋」を覗かない
- トイレは「借りてもいい?」と確認
- ペットにも「触っていい?」と確認
- 人の家で「ゴロゴロ」しない
- 自分から「そろそろ帰るね」と言う
- 帰り際は目を見て「ありがとう」
- 遊んだものは「元通りに片付ける」
- 玄関に入ったらまず「挨拶」をする
このリストを見て、私の最初の、そして反射的な反応は、
「え、こんなの当たり前じゃない?特別なことじゃないよね?」
でした。これは、このリストの行動が、私たち親子にとってはあまりにも日常であり、無意識の習慣だったからです。
しかし、娘からすぐに返ってきたメッセージが、私の「当たり前」の境界線を大きく揺さぶりました。
「大人でもいるよ、できない人。畳の席での飲み会で、普通に素足で来る人いるもの。」
「えっ…素足?」私は愕然としました。私の中では「よその家や畳の席に素足で上がるのは失礼」というのは、日本の文化的な感覚として、ごく自然なマナーだと認識していました。
この瞬間、私は気づきました。私が当たり前だと思って、特に意識もせずに娘に伝え続けてきた一つ一つの習慣が、実は子供が社会に出たときに、**他人との関係を円滑にするための「一生モノの財産」**になっていたのだ、と。そして、私と娘の「当たり前」の基準は、世間一般の「当たり前」の基準とは必ずしも一致しないのだと。
***関連記事***

【習慣化の力】小さな頃からの積み重ねが大人を変える
このリストの項目は、特別な才能や高額な教育ではなく、本当に地道で小さな習慣の積み重ねで成り立っています。そして、今回のブログで皆さんに最もお伝えしたいのは、小さな頃に身についた習慣は、大人になっても、意識しなくても体が動く「無意識の行動」として定着するということです。
私が「当たり前」の習慣を娘にどうやって身につけさせてきたか、リストに沿って、ワーママ目線で少し振り返ってみます。
玄関では必ず「靴を揃える」(次に使う人への配慮)
これは、娘が幼稚園に入った頃から「ただいま」の次に必ずセットで促しました。私が揃えずにいると、「お母さん、靴が乱れてるよ」と逆に指摘されるほどに習慣化に成功しました。今、社会人になった娘の玄関を見ても、出かける前の靴はいつでもピシッと揃っています。この習慣は、**「次に使う人への配慮」**にも繋がっているのだと思います。
よその家には「靴下」で上がる(相手の空間を大切に扱う)
娘が指摘した「素足」のエピソードが正にこれです。子供の頃、夏に友だちの家に遊びに行く際、つい素足になりがちでしたが、私は必ず「靴下を履いていこう。裸足は衛生的にも失礼だよ」と伝え続けました。これは、**「相手の空間を大切に扱う」**という、社会人として非常に重要な姿勢の基礎になります。
勝手に「他の部屋」を覗かない(プライバシーの尊重)
これは、**「プライバシー」**の概念を教えることでした。誰かの家に遊びに行ったとき、リビング以外は「相手の領域」であり、勝手に開けたり覗いたりしない。これは、大人になっても、他人の持ち物やデスクを勝手に見ないというマナーに直結します。
トイレは「借りてもいい?」と確認(相手の手間を考える)
「借りてもいい?」という言葉を使うことで、訪問先の**「お手間」**を考えさせる習慣が生まれます。許可を得ることで、使う前後への配慮(綺麗に使う、トイレットペーパーの残量確認など)が自然と生まれるのです。
ペットにも「触っていい?」と確認(「同意」を学ぶ最初のステップ)
子供は動物が好きですが、動物にも感情とテリトリーがあります。「かわいいからといって勝手に触ってはいけない」という習慣は、相手の意思を確認する**「同意(コンセント)」**を学ぶ最初のステップ。大人になってからの人間関係にも応用される、非常に重要な習慣です。
人の家で「ゴロゴロ」しない(節度と緊張感)
家にお邪魔している間は、あくまで「ゲスト」。リラックスするのは自分の家に帰ってから。これは、**「節度」と「緊張感」**を持つことを教える習慣でした。子供が小さいうちはつい許してしまいがちですが、根気よく伝え続けることが大切です。
自分から「そろそろ帰るね」と言う(自己管理と決断力)
子供にありがちなのが、「もっと遊びたい!」で帰るタイミングを失うこと。あえて親が口出しせず、「何時まで遊んでいいか、自分で考えて相手に伝えなさい」と促しました。これは、**「時間管理」と「自分で決断する力」**を育みます。
帰り際は目を見て「ありがとう」(感謝を伝える習慣)
ただ言うだけでなく、「目を見て」言う。これこそが、感謝の気持ちを伝える一番の習慣です。娘が今、職場でも目を見て挨拶と感謝を伝えていると聞くと、この習慣を続けてよかったと心から思います。この習慣は、大人になっても崩れないものです。
遊んだものは「元通りに片付ける」(責任を持つこと)
これも習慣化の賜物。親が片付けるのではなく、子供自身が元の場所に戻すまで見守る。これは、**「自分の行動に責任を持つ」**という、社会人にとって最も大切な習慣の一つです。
玄関に入ったらまず「挨拶」をする(第一印象の形成)
「ただいま」「こんにちは」といった言葉の力は、その場の空気を変える力があります。これができているだけで、第一印象が全く違ってきますよね。挨拶は、全ての人間関係の出発点です。

ワーママだからこそできた、最小限で最大の教育
ワーママの皆さん、私たちは忙しい毎日の中で、つい「時短」や「効率」を優先して、子供がやった方がいいことまで手を出しがちです。しかし、このリストを見て改めて思うのは、「子供の無意識の習慣」は、「親の無意識の教え」から生まれるということです。
私たちは、毎日残業で疲れて帰ってきても、玄関で靴を揃えました。 休日に友人宅へ訪問するとき、忙しくても、娘に靴下を履かせました。 遊び終わった後、どれだけ急いでいても、「片付けてからね」と声をかけました。
これらは、決して大袈裟な「教育」ではなく、**「日々、親が実践し、それを子供に求め続けた、最小限の関わり」だったのです。しかし、この最小限の習慣化こそが、娘に「人を敬い、大切にする心」を根付かせ、結果として、彼女の「社会的な自信」**に繋がったのだと感じています。
結び:「当たり前の基準」は、親から子への「愛のバトン」
娘が送ってくれたメッセージは、私にとって最高の「親業卒業証書」のようなものです。そして、マナーや習慣は、私たち親から子へ贈る**「一生モノの財産」であり、「人を敬う愛のバトン」**です。
親が子供に教える「当たり前の基準」は、子供が社会に出たときに、周りの人との摩擦を避け、自信を持って生きていくための「自己肯定感」の土台になります。この土台は、小さな頃の習慣の積み重ねでしか築けません。
忙しい毎日ですが、今日からでも、もう一度、この「当たり前」の小さな習慣に目を向けてみませんか。それがきっと、数年後、お子さんを社会へ送り出す際に、親子の絆を再確認できる喜びとなって返ってくるはずです。
皆さんのご家庭では、このリストの習慣化、どのように取り組んでいますか?
ぜひ、お問い合わせから、工夫していることや、成功エピソードを教えてくださいね!

