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スポーツの世界ではよく「努力は報われる」「最後まであきらめないことが大事」という言葉が飛び交います。
けれど、現実はそんなに甘いものばかりではありません。
部活動でレギュラーになれず、ベンチで声を出し続けるわが子の姿。
それを見守る親の心には、誇らしさよりも、もっと複雑で、もっと切ない「痛み」が居座っているのではないでしょうか。
私もそんな経験を、嫌というほどしてきました。
今だから言える、経験者の気持ちを綴ってみました。
「お弁当を作る」という、無言の励まし
上の子がバスケットボールをしていた頃、正直に言えば、あの子はあまり上手な方ではありませんでした。
試合に出られる時間はごくわずか。応援席から見るコートには、わが子がいない。
そんな時間が長く続くこともありました。
親としてできることは、本当に限られています。
私が心掛けていたのは、冷静さを保ちつつ、ただ元気にお弁当を作り、送り出すこと。
それだけでした。
「もっと練習したら?」なんて言えばあの子を追い詰める。
かと言って「出られなくてもいいよ」というのは嘘になる。
だから私は、せめてお弁当の隙間を埋めるように、あの子の努力を否定しないという無言のメッセージを詰め込んでいました。
家庭を「評価される場所」ではなく、ただ「栄養を補給して安心できる場所」にすること。
それが、私なりの精一杯の応援でした。

「見に行かない」という選択肢があってもいい
けれど、どうしても冷静でいられない日もあります。
正直に告白すれば、わが子の姿を見ていられない日もありました。
周りの親御さんが熱心に応援し、活躍するわが子の姿に一喜一憂している中で、一人、切なさに押しつぶされそうになる。
そんな時は、最低限の観戦にとどめ、あとは夫に任せて会場を後にする日もありました。
「親なら最後まで見守るべき」「苦労を共にするべき」という正論は、時に親にとっての毒になります。
親だって人間です。
わが子が選んだ道だと分かっていても、報われない姿を見るのは、自分のこと以上に身を削られる思いがするものです。
もし、試合会場へ行くのが辛いなら、行かない日があってもいい。
それは「逃げ」ではなく、家で「おかえり」と笑って迎えるための、大切な「避難」なのだと今は思います。
親が無理をして現場で暗い顔をするよりも、家を明るい港として守り続けることの方が、子どもにとっては救いになることもあるからです。
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子どもへの声掛け――「教える人」ではなく「迎える人」でいる
試合に出られない子どもを前にすると、何か励まさなければと焦ってしまいます。
でも、一番悔しいのは本人です。
そんな時、私が大切にしていたのは「余計なアドバイスをしない」ということでした。
- 「頑張れ」ではなく「見ていたよ」: 結果が出ない時に「頑張れ」と言われるのは、時に酷なものです。「今日はあそこの声出しが一番届いていたね」「お弁当、完食してくれて嬉しかったよ」と、結果ではなく「本人がやったこと」だけを事実として伝えるようにしました。
- 家庭を「部活の延長」にしない: 家でも部活の反省会が始まってしまうと、子どもには逃げ場がなくなります。家ではあえて部活の話題には深入りせず、好きな献立を作ったり、テレビを見て笑ったり。「ここは成績に関係なく、あなたが無条件に受け入れられる場所(港)だよ」という態度で接することを心掛けました。
何をしてもついて回る「比較」という怪物
そんな姉の姿を見て育ったからでしょうか。
下の子は、「自分次第で決まる方が気楽だから」と、球技を避け、個人競技である水泳を選びました。
「個人競技なら、レギュラー争いに悩まされず、気楽なんじゃないか」 そんな親の淡い期待は、すぐに裏切られました。
そこには、隣のコースで自分より速く泳ぐ子、表彰台に上がる仲間を横目で見ながら、ひっそりと悲しい思いをするわが子の姿がありました。
結局、チームスポーツだろうと個人競技だろうと、私たちは「他人と比べること」で自分を苦しめてしまう。
あの子に比べてうちは……と思った瞬間から、わが子が今そこに立っている尊さが見えなくなってしまうのです。
子どもが「そこに立っている」という事実だけで十分
結局のところ、親ができる一番のことは、子どもがその場所を「自分で選んで、今もそこに立っている」という事実を、そのまま受け止めることではないでしょうか。
レギュラーになれなくても、ベストタイムが出なくても、あの子たちは私たちが想像もできないような葛藤の中で、自分自身の心と戦っています。
周囲と比べ、自分の不甲斐なさに一番傷ついているのは、子ども自身です。
だからこそ、親はせめて「比べること」から降りてあげたい。
昨日より少しだけ長く練習したこと。
悔しさを飲み込んで声を出し続けたこと。
そんな「小さな、でも確かな成長」を、誰よりも近くで見守る唯一の味方でありたいのです。
今日も、重いバッグを背負って出かけていく背中に。
言葉にならない思いを飲み込んで、私たちは今日も、キッチンに立ち続けます。
「いってらっしゃい。今日もお弁当、おいしく作ったよ」 その一言が、いつか子どもたちの人生を支える、目に見えない力になると信じて。
