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お店を出る時に「ごちそうさま」言う派?言わない派?┃我が家の考え方

子育て

みなさんは、飲食店で食事を済ませてお店を出る時や、コンビニやスーパーのレジでお会計をしてもらった時、店員さんに何か言葉をかけていますか?

「ごちそうさまでした」 「ありがとうございました」

我が家では、これらを口にすることは、幼い頃からごく「当たり前」の習慣でした。

美味しいご飯を食べさせてくれたお店の方へ、そして目の前でテキパキとレジを打ってくれた店員さんへ、自然と口から出る感謝の言葉。

しかしある日、この「当たり前」が、我が家だけの、あるいは一部の人だけのものかもしれないと気づかされる、ショッキングな出来事が過去にあったのです。

今回は、SNSやネットでも度々論争になる「店員さんへの『ごちそうさま』『ありがとう』は必要か、不要か」というテーマについて、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

娘が直面した、ファミレスでの「違和感」

事の始まりは、私の娘が学生だった頃に、友人と数人でファミリーレストランへ行ったときの話です。

楽しく食事を終え、レジでお会計を済ませた娘は、いつものように店員さんに向かって「ごちそうさまでした!」と笑顔で声をかけました。

店員さんも「ありがとうございました、またお越しくださいませ」と気持ちよく返してくれたそうです。

しかし、お店を出た直後、一緒に行っていた友人の一人から、思いもよらない言葉を投げかけられました。

「ねえ、なんで『ごちそうさま』なんて言うの? うちらはお金払ってるお客さんなんだよ? なんか変なの」

娘は一瞬、何を言われたのか分からず、言葉に詰まってしまったと言います。

責めるような口調ではなかったものの、心底不思議そうな顔でそう指摘されたことが、娘にとっては少なからずショックだったようです。

家に帰ってきた娘からその話を聞いたとき、私は正直、耳を疑いました。

「えっ、お店の人に『ごちそうさま』って言うのって、変なことなの……?」

気になってその日の夜、インターネットで検索してみて、さらに衝撃を受けました。

そこには、私が想像していた以上に激しい「賛否両論」の議論が繰り広げられていたのです。

「言わなくていい派」の意見に耳を傾けてみると

ネットの掲示板やSNSを見てみると、「言うのが当たり前」という意見がある一方で、「言う必要はない」「むしろ言いたくない」という「言わなくていい派」の意見もたくさん見つかりました。

最初は「どうして?」と戸惑いましたが、彼らの論理を客観的に見ていくと、悪気があるわけではなく、それぞれに異なる価値観や理由があることが分かってきました。

代表的な意見をいくつか挙げてみます。

  • 「お金を払って対等な取引をしているから」: 最も多かったのが、ビジネスとしての割り切りです。「こちらは料理やサービスという商品に対して、正当な対価(お金)を支払っている。お店側は『ありがとうございました』と言うべきだが、客側が感謝を述べるのは過剰である」という考え方です。
  • 「店員さんの仕事を増やしたくない・邪魔をしたくない」: 特にコンビニなどの混雑したレジにおいて、「客がいちいち声をかけると、店員さんも手を止めて返事をしなければならなくなり、かえって迷惑(業務の邪魔)になるのではないか」と配慮する声もありました。
  • 「コミュニケーションをとるのが恥ずかしい、苦手」: 接客業の人と目を合わせたり、声をかけたりすること自体に緊張や気恥ずかしさを感じる人も一定数います。「無言でお辞儀をするだけで十分」「余計なやり取りはせず、スマートに立ち去りたい」という心理です。
  • 「親からそう教えられなかった(習慣がない)」: そもそも家庭環境として、親が店員さんに声をかける姿を見て育っていないため、大人になっても「言う」という選択肢自体が頭に浮かばない、というケースも少なくありません。

いかがでしょうか。

単に「冷たい人たちだから言わない」というわけではなく、「お金を払っているのだから、そこに過剰な感情のやり取りは不要」とする合理的な視点や、内向的な性格ゆえの選択、あるいは効率性を重視した結果なのだと分かると、少し見え方が変わってきますよね。

「ごちそうさま」と「ありがとう」が持つ、本来の意味

ここで少し視点を変えて、私たちが何気なく使っている言葉の歴史や意味を、客観的に紐解いてみましょう。

◎ 「ごちそうさま(御馳走様)」の由来

「馳走(ちそう)」という漢字は、どちらも「走る」という意味を持っています。かつて、冷蔵庫もスーパーマーケットもなかった時代、大切なお客様をもてなすために、馬を走らせ、自らの足で駆け回り、あちこちから食材をかき集めて食事を用意していました。 その、主人の命がけの奔走や苦労に対して、客側が「私のために、あちこち走り回って用意してくださり、本当にありがとうございました」と敬意と感謝を込めて言った言葉が「御馳走様」です。

◎ 「ありがとうございました(有り難う)」の由来

「有り難い(ありがたい)」は、文字通り「有ることが難しい」、つまり「めったにないこと」「奇跡のようなこと」を意味します。仏教的な由来もあり、自分が今ここで生かされていること、誰かから親切を受け取ることが、どれほど貴重で尊いことかを表す言葉です。

こうして言葉の成り立ちを振り返ってみると、これらの言葉は決して「義務」や「マニュアル」ではなく、「自分のために時間や労力を割いてくれた人への、敬意の表明」なのだと分かります。

現代の飲食店やコンビニはシステム化されていますが、その裏には、朝早くから食材を仕込んだ人、厨房で暑い思いをして調理した人、何時間も立ちっぱなしでレジを打ち続ける人が、確かに存在しています。

私たちは、お金でその「仕組み」を買っていると同時に、誰かの「労働と時間」を受け取っているとも言えるのではないでしょうか。

もしも自分が店員だったら? 言葉がもたらす心の温度

私は、美味しい食事を提供してもらい、気持ちの良い時間を過ごすことができたとき、自然と「ごちそうさまでした」と言いたくなります。

また、コンビニのレジでも、混雑している中でストレスなくスムーズに会計をしてくれたときや、優しい言葉がけをしてくれたときには、心からの「ありがとうございました」を伝えています。

それは、「お金を払っている客」という立場を超えて、「人と人としての心地よいキャッチボール」をしたいからに他なりません。

ここで少し想像してみてください。 「もしも自分が、飲食店の厨房や、コンビニのレジで働く店員さんだったら?」

毎日たくさんのお客さんを相手に、時には理不尽なクレームに耐え、淡々と業務をこなす日々の中で、お会計の最後に「ごちそうさまでした! 美味しかったです」「ありがとうございました」と、笑顔で声をかけられたら、どんな気持ちになるでしょうか。

きっと、多くの方が「救われたような気持ちになる」「自分の仕事を認めてもらえた気がして、嬉しくなる」と答えるのではないかと思います。

言葉は、言った側だけでなく、受け取った側の心にも灯りをともします。

たとえそれが仕事として当たり前のサービスだったとしても、一言「ありがとう」があるだけで、その日の疲れが吹き飛ぶことだってある。

そう考えると、声をかける側にかかるコストは「ほんの数秒の息遣い」だけなのに、生み出される価値はとても大きい気がするのです。

子どもたちには、どんな風に育ってほしいか

娘が友人に「変なの」と言われたエピソードに戻ります。

私は娘に、友人の意見もひとつの考え方として認めつつも、こう伝えました。

「お友達は『お金を払っているんだから言う必要がない』と思ったんだね。それもひとつの意見。でもね、母は、お料理を作ってくれた人や運んでくれた人に『美味しかったよ、ありがとう』って伝えるのは、とっても素敵なことだと思うんだよ。だから、これからも自分が『言いたい』と思うなら、堂々と言い続けていいんだよ」

我が家の子どもたちは、成人した今でも、お店を出る時にしっかりと感謝を伝えています。

正解・不正解を他人に押し付けるつもりはありません。

「言わない派」の人を「冷たい」と責めるのも違うと思います。

ただ、親の欲目かもしれませんが、私は子どもたち(そしてこれからを生きる次の世代の子どもたち)には、「誰かの優しさや労働に対して、素直に『ありがとう』と言える、心の余白を持った大人」に育ってほしいなと願っています。

「お金を払っているから偉い」という、どこかトゲトゲしたギブ・アンド・テイクの世界よりも、「お互い様」の精神で、感謝を循環させられる温かい世界の方が、きっと生きやすいはずだからです。

最後に:みなさんはどうされていますか?

たった一言の「ごちそうさま」や「ありがとう」。

それは、義務ではないからこそ、私たちの「心のあり方」が一番映し出される鏡なのかもしれません。

正解のないこのテーマ、みなさんはお店を出る時、レジを済ませる時、どうされていますか?

また、お子さんがいる方は、どんな風に伝えていますか?

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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